2025/2/26

デルター誕生秘話(前編)~40周年記念~

27歳の挑戦

デルターの創業時については、過去にもチラホラと聞いたことはありましたが、創業40周年を機に根掘り葉掘り聞いてみよう! ということで、社長に集団インタビューを実施しました。ここでは、その内容を物語風にまとめてご紹介します。

27歳で無職になる

1985年──若かりしころの戸松青年が勤めていた会社が傾きかけたところ、社長に依頼されて経営改善計画を立てたのだが、それを発表する前に役員の総入れ替えが起こった。しかも、問題視していた人物が中心となる体制になってしまったため、退職を決意。
「戸松君についていくよ」と言ってくださるお客様もいたが、それでは元の会社が立ち行かなくなると考え、お断りをした。「うちにおいでよ」と声をかけてくださる会社も2~3あったが、ある人に「戸松君は、どんな仕事も3年以上は続かないよ」と言われていたこともあり、こちらもお断りをした。

運命の一冊との出会い

どの会社に勤めても3年でやめてしまっては迷惑がかかるので、なんとか自分で商売ができないかと考え、奥様に一カ月の猶予をもらい、毎日図書館に通って本を読み続けた。
本棚の前に立って背表紙を眺めていると「僕を読んで」「私を読んで」と本に呼ばれる。その中に、戸松青年の運命を握る一冊、星野芳郎著『情報化社会をどう生きるか』(ダイヤモンド社、昭和58年)があった。
その本には、これから情報化社会が始まり、いろいろな問題が出てきて、何十年も続いていくようなことが書いてあった。そこで戸松青年は考えた。問題が出てくるなら、それを解決すればお金がもらえる! それが何十年も続くなら、3年ごとくらいで取り組む課題を変えていけば、考えようによっては商売変えができる!

一生飽きずに働けるテーマ

実は戸松青年の心には、父親とのコミュニケーションがうまくいかないことが原因で魂に刻み込まれた傷があった。それは、ことあるごとに思い出されるもので、人生の中でいつか解決したいという想いもあり「これをテーマにしたら、一生飽きずに働くことができそうだ」とひらめいた。
また情報化社会が進むにつれ、必ずコミュニケーションの大きな課題が出てくると読み、それらの課題を「情報のデザイン」で解決していくことを生業にすると決めたのだ。戸松青年、27歳の秋だった。

1985年ってこんな年

日本航空123便墜落事故
つくば万博(国際科学技術博覧会)開催
青函トンネル貫通
新幹線上野駅開業
男女雇用機会均等法成立
・ファミコンソフト「スーパーマリオブラザーズ」大ヒット
・一眼レフカメラ「ミノルタα-7000」大ヒット
・日本語ワープロソフト初代「一太郎」発売
・初代「シルバニアファミリー」大ヒット
・10代目「ビックリマンチョコ」大ブーム

IT技術の移り変わり

 
 

──と、今回は序章で文字数制限いっぱいになってしまいました! 次が中編になるのか、はたまた後編になるのかは、今のところ神のみぞ知るといったところでしょうか。とにもかくにも、続きをお楽しみに~☆

 

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