2012/2/25

やるときはやる [vol.51]

こんにちは、e-ラボレターです。

この時期、毎年思うことがあります。

なぜ、2月だけ他の月に比べ極端に日数が少ないのだろう……と。
けれど、この極端にずれるリズムが絶妙だなとも思いますが、 
みなさんは、いかがでしょうか?

やるときはやる

1月は、行く。2月は、逃げる。3月は、去る。

といいますが、私にとって今年の2月は、なかなか逃げていかないのです。

(なぜまだ2月がいるのだ……?)という違和感の中、 
夜テレビを見ていて、さまざまな暦にまつわる話を耳にしました。 



その中で「昔は『うるう月』が存在していた」

という話に興味を持ちました。

4年に一度、2月が29日になる「うるう年」は知っているのですが、 
丸っと1カ月増える年があるというのには、びっくりしました。 
1年が13カ月になるのです。



明治のはじめ、それまで日本の暦は太陰太陽暦(旧暦)でした。

そのため、毎年11日ほど太陽暦に比べ短くなってしまいます。

それを3年に一度の、うるう月で調整したそうです。



そこまでは(へぇなるほどねぇ)と思っていたのですが、 
話は、明治5年。

当時の明治政府は、大変な財政難に陥っていました。

そんなところに、明治6年には「うるう月」がやってきます。

財政難の中、給与を13カ月分も支払わなければなりません。


このとき財政を担当していたのは、大隈重信。

困った彼が行ったひとつが、太陽暦(新暦)の採用でした。

太陽暦の1年は、12カ月です。

翌年に迫った13カ月分の給与の支払いを12カ月分にしてしまったのです。

なんとも荒療治ですよね。

この太陽暦は、明治5年12月2日(西暦1873年12月31日)に採用され、 
翌日は、1月1日(西暦1874年1月1日)となりました。
この太陽暦の採用が布告されたのが、11月9日というのですから、
さぞかしドタバタだったのではないでしょうか。
ちなみに、明治5年の12月分の給与もカットされたようです。

ということは、12月2日以降生まれの人は誕生日会もカットですね(涙)。

新暦になっても、給与は支払われ続けたとは思いますが、 
役人たちは、狐につままれた気分になったのではないでしょうか。 

財政難に対して、この政策に成果があったのかは、 
勉強不足なので定かではありません。

しかし、外国との国交が始まったこの新しい時代、
太陽暦の導入は、どこかで行わなければならない、 
とても大切なことだったのだと思います。

それをこのタイミングで一緒におこなってしまった大隈重信は、 
やはり大物としかいいようがありません。 

今の日本で、こんな断行を行ったら世間は大わらわですよね。


こんなことができてしまう明治の人たちの強さというか、度胸のすわりっぷりには、関心させられます。



なにかにつけ既成概念にとらわれることはありますが、 
何か大切なことを成し遂げなければならないとき、 
常識の範囲内で行っていては、成し遂げられるものも、 
成し得なくなってしまうのかもしれませんね。

ところでなぜ、2月は28日なのかですが、 
ローマ時代、年の始まりは農耕の始まる3月になっていて、 
年の終わりの2月は調整されて28日となっているのだそうです。(w.)

春は着実に近づいていますね

From Staff >>>...ki3e

先週の土曜日、岡崎公園に行ってきました。

その日は、とても穏やかな日で岡崎公園内にある龍城神社では、 
婚礼が執り行われており、ご夫婦の仲睦まじい様子が印象に残っています。 

公園内を散策していると、立派な梅の木が。

青く伸びた芽が青空に向かって眩しく光り、 
少し目をおろすと、きれいな花が咲いていました。
その姿は大変美しく、きっと梅の木の手入れが、 
行き届いているからこその姿なのだろうと感心しました。 

明けて月曜日。

出勤の途中で、会社の近くを流れている乙川に差し掛かると、 
川沿いに植えられている河津桜に、 
ピンク色の花がちらほらと咲き始めていました。 

立て続けにほんわかする風景に遭遇し、 
春めいてきたなぁと。ぽそりと心の中で思いました。
 

e-LabLetter 第51号 2011/2/25(Fri)発行

 
 

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