2018/04/18

音楽とプログラムが、僕の中では一緒だった

電脳開発センター センター長 2009年アルバイト勤務 → 2011年 中途入社

デルターに入社する前は、フリーのミュージシャンだった。楽器はトランペット。演奏はもちろん、個人事業主だから企画・営業から経理まで全部やっていた。個人的に古典音楽学も勉強してて、1400年代の楽譜や歌詞を読んでいた。古いドイツ語、イタリア語、フランス語……。辞書でひと単語ずつ訳していくような、地道な研究を自分の音楽に取り込んで表現する。それが楽しかった。でも結婚を機に、安定して食べていく道を選んだ。このときはまだ、プログラムのプの字も知らなかった。

デルターは父が起こした会社。自分は社長の息子という立場。だからこそコネじゃあ後が続かない。自分の何が会社の役に立つのか考えないと、働くことはできない。企画・営業や経理はやっていたけれど、それで食べていけるほどじゃなかった。ただ、論文や演奏会を紹介する文章は、けっこう評価されていた。これが自分の強みじゃないか? 結局、ライターとして入社試験を受けてパート採用。そうして1年くらい修行したら、だんだん見えてきた。ライターを専業とするのは、向いてないってことが。
自分が感じたことを感じたようには文章を書ける。それが面白いと言ってもらえもする。だけど、その感じ方を違う表現にして書いてほしい、って求められると難しかった。どうにか書こうとしても筆の運びが窮屈で、表現したかったはずの面白さが消えてなくなってしまう。自分にとって文章を書くのは、自由じゃなかった。

このままライターで働き続けるのは、ちょっと難しいな。そう思っていたとき出会ったのが、プログラミングだった。たまたま社員に大学でプログラミングの講師をしている人がいて、その講義資料で勉強したらすっと入ってきた。
僕の中で、音楽とプログラムは一緒だった。音符や海外の言語を読み解くのと同じように、アルファベットや数字を読み解く。知らないことばかりだけど、まったく苦じゃない。ライターのときとは違う、表現力が広がる感覚。楽器で音楽を奏でるように、パソコンでプログラムを走らせる。目的を達成するために、自分が良いと思ったことを書ける。好きなものを、好きなように創れる。プログラミングには、自由があった。

これならやっていける。そう確信した後はもう独学だ。むさぼるように知識と技術を身につけていって、DaaS ver 2.0のプロトタイプを作った。これが認められて正社員に、さらに専従のプログラマーになって、とうとう電脳開発センター長に就いた。
今ではデルターの企画・営業にも、さまざまな意見や提案をしている。音楽活動を通じて身につけてきたことが、ずいぶん役に立っている。もちろんプログラミングの技術は日進月歩だ。社会が求めることも変わっている。だからこそ、これからも自己研鑽は怠らない。広い視野をもって、新しい技術を身につけて、デルターの未来を創っていく。

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